<18>高木美帆は惜しくも銀…五輪のメダルが人生を変えた話
当時、ライバルは共に日本代表に選ばれていた島崎京子さん。同学年で、三協精機(現・日本電産サンキョー)に入社した1年目に日本女子初のW杯総合優勝を果たしたスター。92年アルベールビル五輪では500メートル7位入賞、リレハンメルでは10位、長野ではメダル確実といわれていた。最高のライバルだった。
■長野五輪で私を応援していたメディアは少数派
メディアも全体的に「島ちゃん推し」という感じで、私を応援してくれる記者さんは少数だった。数少ないその記者さんにも、「そんな気を使わなくてもいいですよ。絶対に島ちゃんを取材しておいた方がいいですよ」と謙遜していた記憶がある。
そもそも、1種目でメダルは3つある。日本人が2つ取ってもいいのに、当時の風潮は「どっちがメダルを取るか」という雰囲気だった。
結果は島ちゃんが5位。私が銅メダルを取った。島ちゃん派だった記者さんたちはガッカリしたに違いない。
メダルを取った後、長田監督から「島崎を応援していたライターがおまえのことめちゃくちゃ睨んでいたぞ」と言われたのを今でもよく覚えている。