板倉滉はどのように“新アジアの壁”と成長したのか…仙台時代の指揮官が語る
渡邉晋(元仙台監督・現山形コーチ)
3月のカタールW杯最終予選の大一番・豪州戦(シドニー)を筆頭に2022年突入後は代表7試合に出場し、主力CBの一人に成長した板倉滉(25=ボルシアMG)。今季赴いた新天地で開幕から好パフォーマンスを展開し、常連CBの吉田麻也(シャルケ)、冨安健洋(アーセナル)を超える存在感を示した。「仙台時代の滉は守りの時に休んでしまうことがありましたけど、今はボルシアMGで4バックのCBをこなし、バイエルンにも堂々と対峙している。スケールアップを実感します」と語るのは、仙台時代の指揮官・渡邉晋監督(48=現山形コーチ)。プロ入り後、初めて主力として1年間フル稼働した仙台以降の変化を聞いた。
【注】ボルシアMGが12日、左膝の故障で板倉の戦線離脱を発表。インタビューは発表前に行った。森保代表監督は15日、「板倉は本大会までには治って選考対象になる」とコメントした。
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■ハードルを越えることでメンタルも充実
──板倉は川崎のアカデミー時代から年代別代表で活躍していた。
「滉が川崎でトップ昇格した後、ルヴァン杯の仙台戦で1度だけ対戦しました。メンバー表を見て『誰だ、これ?』と。試合が始まるとサイズ感があり、川崎育ちならではの足元の技術も備えているな、と感じた記憶があります」
──その板倉を18年に獲得した経緯は?
「当時の仙台は、毎年のように主軸選手を引き抜かれる状況で、17年末もDFの補強に迫られていました。そこで強化部が候補に挙げたのが滉でした。川崎の選手なら技術は間違いない。そう思ってオファーを出し、東京駅まで行って代理人含めて本人と会い、話をしましたね」
──その時の板倉は?
「『仙台に行きますよ』と明るく言ってくれました(笑)。私もホッとしましたよ」
──主戦場は3バックの左でした。
「ちょうど18年1月のAFC・U-23選手権(中国)でそのポジションに入ってプレーしていたので、仙台でも同じようなプレーをしてくれればいい、と期待しました。本人はボランチをやりたいと時折アピールしてきましたね。攻撃が好きなのでボールに関わる意欲が高いことは分かっていましたが、3バックの左でボールを引き出し、そこから展開してくれることを求めていました。そこは滉も理解してくれたと思います」
──成長具合は?
「試合でハードルをひとつ、またひとつ越えていくことでメンタル面も充実し、チームを勝たせる術を自分で考えられるようになっていきました。
当時のチームには主将の大岩一貴(仙台)、GKのシュミット・ダニエル(シントトロイデン)、ボランチの奥埜博亮(C大阪)と軸になる選手はいたので、滉にはとにかく思い切ってプレーしてくれと伝えていました」
──驚きや発見は?
「プレー面では、移籍初戦だった18年J1開幕の柏戦でいきなりヘディング弾を決めたことかな。開幕前から『打点の高いヘッドを持ってるな』とは感じていたけど、いきなり強みを発揮してくれました。人間性の部分で言うと、シーズン終盤にチームメートと言い合いをしたことがあったんです。その振る舞い自体には賛否両論があるでしょうが、チームを勝たせたい! という熱い気持ちが行動に出た。主力の自覚も強まり、自分から要求できるようになったんだな、と感じました」
──普段の板倉は笑顔を絶やさず、柔和な印象だが。
「ピッチ上では激しいですよ(笑)。ファイトするしね。チームを良くするために感情表現をする男なんです。仙台でそれを実証したと思います」
──記憶に残っている彼のエピソードは?
「18年秋に仙台が滉のグッズを売り出すことになって、彼が開発スタッフと話しているところにたまたま出くわしたんですけど、うれしそうにしゃべっていたのを覚えています。個人グッズは、それなりの存在にならないと作ってもらえない。クラブ内外から認められるサッカー選手になったんだな、と実感しましたね」
──板倉にとってはフル稼働した仙台時代が、真の意味でのプロ1年目だった。
「そうですね。滉は試合に出たくてウズウズしてたでしょうから。育成から過ごした川崎を出る決断は簡単ではなかったでしょうが、結果的に良い移籍になったと思います。ガク(野津田岳人=広島)や中野(嘉大=湘南)が橋渡しとなり、チームにもスムーズに溶け込んだ。仙台で良い時間を過ごしたはずです」
──当時の課題は?
「守備の部分で少し休んだり、止まったりしてしまうことがありました。ひとつのボールへのスライド、チャレンジ&カバーに対して『このくらいでいいだろう』と自己判断してしまうことがあった。でも、4年が経った今、ボルシアMGという名門でレギュラーを張っているのを見ると当時とは全く違う。しかも4バックのCB。その重責を任せられる選手になるとは想像しなかった。それだけ欧州経験を積み重ね、自信をつけたんでしょう」