板倉滉はどのように“新アジアの壁”と成長したのか…仙台時代の指揮官が語る
攻撃センスも素晴らしい
──8月27日の強豪バイエルン戦でも体を張ったいい守備を見せていた。
「もともとシュートブロックやスライディングはうまい選手なんです。だけどスライディングでのボール奪取は最終手段。その前にいい形でボールを奪い、持ち上がって味方FWにスルーパスを出すような攻撃的守備ができるといい。彼は攻撃センスも素晴らしいですから、先手を取る守備でボールを奪えれば、その能力をもっと発揮できる。今後は、そのようなプレーも期待したいです」
──仙台時代は天皇杯で準優勝しましたが、クラブレベルでは主力としてタイトルを取れていない。
「準決勝・山形戦から決勝・浦和戦まで中3日の(超過密)日程でメンタル的にも難しかった中、何とか勝ち上がってファイナルに行きました。準決勝の後、滉とガクが自分に抱きついてきて感極まりましたけど、最終的に浦和に負けてしまった。埼玉のピッチでうなだれる姿は、今も脳裏に焼き付いて離れません。負けず嫌いの滉は2位じゃダメだと痛感したはず。あの悔しさをエネルギーに変えて、その後も突き進んでいると思います」
──仙台で1年を過ごしてから欧州挑戦に踏み切った。
「本人はもう1年、仙台でやりたいと言っていたんで、自分もそのつもりでいました。12月のオフ期間にスペインのジローナに練習を見に行っている時に『滉が移籍する』と連絡を受けた。川崎に帰るのかと思ったら、マンチェスター・シティーと聞いてたまげましたね(笑)。ジローナもシティー・フットボール・グループのひとつなので『ここに(レンタルで)来るのかも知れないな』と思いましたが、行き先は(オランダの)フローニンゲンだった。オランダは欧州4大リーグの登竜門と言われていますし、出続けられれば成長できると前向きに感じましたね」
──その後シャルケ、ボルシアMGへと飛躍した。
「順調じゃないでしょうか。Jでの実績が実質、仙台の1年しかない選手が欧州でステップアップしていったのは、むしろ驚きと言えるかもしれません。彼のケースは、仙台のような地方クラブにとっては希望になりますね」
■伊東にスルーパスを出してゴール!
──カタールW杯には主力として臨んでほしい。
「滉が日本代表の主力としてW杯の舞台に立つ姿を見てみたい気持ちはあります。僕は森保一さんにも長年お世話になっているので、誰を選んでも尊重しますし、心から応援します。ただし、ドイツとスペインのいずれかから勝ち点3を取らなければいけない状況には正直ぞっとします(苦笑)。ひと晩、ふた晩ほど考えただけでは解決策が思いつかない。ドイツ代表の主力が数多くいるバイエルンはよく見てますが、素晴らしいサッカーをしている。そこに対して日本がどう戦うのか。本当に興味深いです」
──強敵相手に板倉がやるべきことは?
「今、持っているものを全て出せるように心身両面の準備をすることですね。たとえば(ドイツ代表の中盤の)キミッヒのパスをインターセプトして自分で運び、伊東純也(スタッド・ランス)にスルーパスを出してゴール! といった形が結実すれば理想的。そんなプレーをぜひ見たいです」
──近未来への期待は?
「ボルシアMGのような名門でタフな戦いを続ければ、5年先にはもっと味のある選手になれると思う。実は、11年の年末に同クラブの(練習)視察に行ったことがあるのですが、あの素晴らしいスタジアムで滉が戦ってると思うと感慨深いものがあります。世界から認められる偉大なDFになることを祈ります」
(聞き手=元川悦子/サッカージャーナリスト、絹見誠司/日刊ゲンダイ)
▽板倉滉(いたくら・こう) 1997年1月27日生まれ。神奈川県川崎市出身。川崎の年代別チームから15年にトップ昇格。出場機会を求めて2018年に仙台に期限付き移籍。19年1月、英プレミアの強豪マンチェスター・シティーに完全移籍。オランダ・フローニンゲンを経て、21年8月にドイツ2部シャルケに期限付き移籍。2部優勝.1部昇格の立役者に。22年7月に同1部ボルシアMGに完全移籍。19年5月に代表初選出。6月のウルグアイ戦で代表デビューを果たした。186センチ、75キロ。
▽渡邉晋(わたなべ・すすむ) 1973年10月10日生まれ。東京都出身。桐蔭学園高-駒大から札幌、甲府を経て2001年にJ2仙台入り。同年36試合に出場して東北のクラブとして初のJ1昇格に貢献。04年現役引退。仙台のコーチを経て14年4月から19年まで監督。21年に山口の監督。現J2山形コーチ。