70歳で咽頭がんと宣告され…きっかけは孫娘「ジイジの声、おかしいんとちゃう?」
地位や権力を笠に着てふんぞり返ったり、威張ったり、そういった立ち居振る舞いは性に合わない。もちろん自慢話なんてしたくもないが──。
それでも日本代表として歴代トップの国際Aマッチ「76試合に出場して75得点」(対戦相手がクラブチームなどのBマッチ、Cマッチを含めると代表通算231試合・153得点)というのは、少しくらいなら胸を張らせてもらってもいい数字かな、と思っている。
もうひとつ、1968年メキシコ五輪の3位決定戦でホスト国のメキシコを破って銅メダルを獲得し、7ゴールを挙げて得点王の栄に浴することができた。日本サッカーの歴史に爪痕を残すことができ、いささかの満足感に浸ることもお許し願いたい。
いたずら好きのヤンチャ坊主だった私が、初めてサッカーボールを蹴ったのは、京都・太秦小4年の冬だった。その時から39歳で迎えた84年元日の天皇杯決勝を最後に引退するまで、ゴールネットにサッカーボールをズドンと突き刺す快感に取りつかれた。
今年4月15日の誕生日で79歳になった。よわい80を重ねる前に2005年からコラム「ズバッと言わせてもらう!」を掲載している日刊ゲンダイ紙上で「ゴールこそ我が人生」を振り返ってみようと思う。果たして連載の終わりがいつなのか、担当者は「長く、長く続けさせてもらいたいと思っています」と言うばかり。ゲンダイ読者の皆さまも、気長にお付き合いをいただければ幸いです。