西武投手コーチだった八木沢荘六さんがロッテ監督に 常勝西武の緻密なデータに衝撃を受けた
「おまえは初球をスイングして空振りかファウルでストライクになったら、2球目は絶対に振らない。だから、2球目は簡単にストライクを取ってツーナッシングにできた」
全く知らなかったから、目からウロコが落ちる思いだった。
当時のロッテのスコアラーは「この打者はどのコースや球種が得意とか苦手」といったデータは出していたが、「こういうケースなら2球目は振ってこない」といった緻密なことまではやっていなかった。
そのシーズン、「知らないふりをして西武戦は2球目を狙ってやれ」と八木沢監督に言われたものの、逆に意識し過ぎると手が出ないものだ。結局、知っていることを生かせなかったのは悔しかった。
「千葉ロッテマリーンズ」元年の92年は、そんな西武仕込みの八木沢野球がロッテには浸透せず、最下位に沈んだ。ただ、ユニホームにピンクを取り入れたことが話題になって移転1年目の観客動員は「前年比約30万人増」と好調。93年は伊良部秀輝が当時の日本最速158キロの剛速球で球界を席巻したが、チームは5位に終わった。翌94年に伊良部は15勝で最多勝を手にするも、チームは低迷から抜け出せず、八木沢監督は途中休養。中西太ヘッドが指揮を執ることになった。