「28年間で素材は一番」 清原以上の大砲候補を和歌山の小さな分校で見つけた
他球団も調査を進める中、鈴木は3位で指名。88年といえば、西武が4連覇を達成した黄金期の真っただ中だ。正捕手には伊東勤(81年1位)が君臨していたが、鈴木は垣内なら捕手でも内野でも外野でもやれると見込んでいた。自身が担当した清原和博に匹敵、いや、それ以上の大砲としての可能性さえ感じた。
しかし、垣内はプロ入り直前に膝をケガしてしまい、これがプロでの大成を阻んでしまった。
「膝が使えないから、前さばきで打つしかなかった。それでも天性の身体能力、リストの強さ、筋力の強さで96年に28本塁打した。性格的にもう少し欲があったらと思ったこともあったけど、膝のケガさえなかったら、凄い打者になっていたと、今でも思っています」
垣内を指名した縁は、その後のスカウト活動に生きた。中津分校からは千原淳弘(現・阪神スコアラー=91年6位)、芝崎和広(現・西武若獅子寮副寮長=大和銀行を経て97年6位)を指名している。
大型捕手といえば、西武、中日で2000安打を達成したスラッガー、ベンちゃんこと、和田一浩(現・中日コーチ)も鈴木が人脈を駆使して指名にこぎつけたひとりだ。