頑なに「高卒で米挑戦」…まともに会話すらなかった大谷が翻意、日本ハムに入団決めた舞台裏
「当日、会うまで答えは分からなかった」
──本人と話せるようになったのは?
「交渉の5回目くらいでしょうか。ただ、本人はかたくなにアメリカに行きたいという態度でしたから。向こうからは一切……。いつも一方通行というか、本人は黙って我々の話を聞いているだけでした」
──大谷が日本ハム入団を表明したのは、2012年10月25日のドラフトから約1カ月半後の12月9日でした。
「ドラフトからだいぶ時間も経っていたし、なんとか答えを出してもらいたいと思ってました。そうしたら向こうから連絡があった。なら、どっちか答えを出してくれるんだろうと。岩手に行って、栗山さんやフロント幹部の人たちも含めてみな、当日、会うまで答えは分からなかった。早くしてくれよという状態でした」
──本当に手ごたえはなかった?
「はい。本当にそうなんですよ。僕も大渕も焦ってる感じでしたから」
──常識で考えれば、断るためにわざわざ呼びつけることはないと思いますが。
「でも、あそこまで長い時間をかけてやってたわけですから、筋を通したいというのはあったと思います。両親からもそう言われていたでしょうし。断るにしても、本人の意思で、本人の口からきちんと言ってくるだろうと」
──岩手のホテルには本人とご両親の3人。そのとき本人からいきなり日本ハムに決めましたからと?
「ええ。僕らも気を使って、それならマスコミも待ってるから、記者会見では、いままでのこととか、どういう判断をしたのか、お父さんの方から言ってもらおうか、と僕が水を向けたんです。そうしたら、いや、僕が自分で話しますと。心配したんですけど、本人はきちんと話をしていました」
(続きを読む=【第3回】につづく)
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