ヤクルト
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ヤクルトが直面する“有観客格差” 阪神とは実に2.4億円の差
その差は小さくない。 7月10日から最大5000人の有観客開催を行うプロ野球。セは6月19日の開幕から約2週間、関東で集中開催されたこともあり、有観客で本拠地開催ができる試合数はチームごとに差がある。 最も多いのは、...
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サヨナラ満塁弾のヤクルト村上 守備不安払拭で他球団脅威
打った瞬間、ベンチが沸いた。 ヤクルトは5―5の同点で迎えた九回裏、無死満塁の好機に、4番村上宗隆(20)が広島5番手スコットの3球目を左翼席上段に運び劇的なサヨナラ勝ちを決めた。 「満塁で回ってきたので、何とか1点取...
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ヤクルト奥川に周囲驚愕 修正能力&野球脳は高卒新人離れ
順調に調整を進めているようだ。ヤクルトのドラフト1位・奥川恭伸(星稜)が30日のロッテ二軍戦に今季2度目の先発。前回登板と同様、1イニングを投げて無失点。最速154キロをマークし、1つの三振を奪った。 1学年上で2018年の...
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山田哲に大瀬良まで…巨人が狙う“総額60億円”FA補強プラン
開幕から3カード9試合を終え、6勝2敗1引き分けでセ・リーグの首位を走る巨人。開幕早々、楽天との交換トレードにより、年俸1450万円の池田を放出し、同2億円のウィーラーを獲得するなど、カネに糸目をつけない補強で今季の過密日程を見据え...
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日ハム清宮幸太郎 変化と成長を披露する場が与えられない
早実時代に高校通算歴代1位の111本塁打を放った輝きはかすみつつある。プロ入り2年間で打率・202、14本塁打、51打点。高校時代は“格下”だった同期のヤクルト・村上宗隆がブレークする中、こちらは栗山監督の「幸太郎はスットコドッコイ...
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阪神は開幕1勝5敗で低迷…二軍は高校球児の人気取りに血眼
「良いことをしているとはいえ、高校生への人気取りに必死やな」 阪神周辺ではこんな声が上がっている。 25日のヤクルト戦にサヨナラ負けを喫し、開幕から1勝5敗と低迷。ボロボロの一軍をヨソに、二軍はドラフト1位の西純矢(創...
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ドシャ降り開幕戦で露呈…中止にできない屋外球場の怖さ
同情を誘う開幕戦だった。 屋外球場は神宮と横浜の2試合。試合前から降っていた雨は一向にやまず、横浜は開始時間が約30分遅れた。神宮は人工芝でもマウンドや打席、ベース周りの土の部分はグチャグチャ。試合中、何度も乾いた土を入れて...
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クビ宣告後に「ヤクルトに戻れ」野村監督の言葉で引退決断
2004年のシーズン終盤、ヤクルトの球団事務所に呼ばれました。この年は一軍で3試合にしか出場できず、年齢も36歳。いよいよこの時が来たか……という思いでした。それでも、まだ引退する気はなかった。 フロントには、 「クビ...
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1993年「伝説のバックホーム」を後押しした野村監督の言葉
ちまたでは「伝説のバックホーム」と言われているようです。 1993年の西武との日本シリーズ第4戦。八回2死一、二塁で西武の鈴木健がセンター前ヒットを打ち、僕がダイレクト返球で二塁走者の笘篠誠治さんを刺したプレーです。今も語り...
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阪神の油断をついた奇策と自分の油断で西武に味わった屈辱
ホームスチールを成功させた選手は何人もいますが、「返球」ではなく「投球」で成功させたのは僕と新庄剛志くらいのものでしょう。 あれは1992年、8月4日の阪神戦。投手は仲田幸司さんでした。 ■阪神戦でホームスチール ...
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外野手の完全な油断で達成した2本のランニングホームラン
野村克也監督が采配を振る1990年から、僕は一軍の試合に多く出るようになりました。 きっかけは4月21日の広島戦。セカンドの笘篠賢治さんの代打で出場した僕は、この打席でプロ初本塁打を打ちます。野村監督が「そのままセカンドに入...
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ヤクルト奥川が初のシート打撃 一軍登板は「観客解禁後」
ベールを脱ぐ日も近そうだ。 12日、ヤクルトのルーキー、奥川恭伸(19)がプロ入り後初のシート打撃に登板。打者11人に投げ、安打性の当たりは1本のみ。4三振を奪い、MAX153キロをマークした。 5月31日には打撃投...
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高卒で入団 プロ1年目のユマキャンプで実感したプロの凄み
1986年の春と夏に甲子園に出場しました。センバツは2戦目で新湊(富山)に敗れたことは前回書きました。 夏は千葉県中の学校が「打倒・拓大紅陵」に燃える中、順当に勝ち進めたことが自信になりました。決勝では、後にヤクルトに同期入...
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人柄抜群の小川淳司さんが畠山にかけた暗示…選手も一丸に
僕は現役時代から引退後の今まで、小川淳司さん(62)の悪口というものを一度も聞いたことがありません。 人柄は優しく、監督時代も常に選手やコーチに気を使いながら接していました。僕は2010年から13年まで、小川監督の下でコーチ...
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プロ初出場がCSの大舞台 山田哲人のスタメン抜擢に驚いた
プロ初出場が高卒1年目のクライマックスシリーズ(CS)……そんな選手は山田哲人(27)を除いていないでしょう。 大阪の履正社高から2010年ドラフト1位で入団。もちろん、球団はじっくり育成する方針でした。現に11年のシーズン...
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岩村明憲は垢抜けない野球小僧 味方も多いが敵も多かった
岩村明憲(41)はこの連載で話した青木宣親と同様、メジャーに行く前と後で、かなり性格が変わった選手です。 僕が彼に抱いた最初の印象は、「田舎から出てきた都会に憧れる少年」。 派手な服を着て、派手なネックレスをジャラジ...
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真中満は打撃センスもさることながら要領の良さも天下一品
ベテランが一線を退き、入れ替わりに若手が一軍に定着……プロ野球でよく見る新旧交代劇です。それが僕にも訪れたとき、台頭してきたのが真中満(49)です。 真中は若松さんが監督時代に、本格的にレギュラーに定着しました。若松さんにす...
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2年連続盗塁王を獲得 コーチ冥利に尽きた福地寿樹への指導
コーチにすれば、自分が指導をした選手が結果を出してくれるとうれしいもの。その意味で、まさにコーチ冥利に尽きると実感したのが、福地寿樹(44=現ヤクルト二軍チーフコーチ)です。 2008年に西武にFA移籍した石井一久の人的補償...
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60本塁打と打てば打つほど守備が横着になったバレンティン
2013年に60本塁打を放ち、王貞治さん(現ソフトバンク球団会長)などが持つシーズン55本のプロ野球記録を塗り替えたのが、ウラディミール・バレンティン(35=現ソフトバンク)です。 あれほどボールを飛ばす打者は正直、見たこと...
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手を焼いた青木宣親は口うるさい僕を好きではなかったはず
正直、当時は手を焼きました。ヤクルトの安打製造機、青木宣親(38)です。もっと守備力に磨きがかかれば、さらにすごい選手になれるのに……。そんな思いは、しかし、なかなか彼には届きませんでした。 2006年に楽天で引退した僕は、...
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奇想天外な助っ人 ホージーのお気に入りはヒビ割れバット
ヤクルト史上最強助っ人がペタジーニなら、こちらは史上最“驚”助っ人でしょうか。1997年に来日、2年間ともにプレーしたドゥエイン・ホージー(53)です。 突然、グラウンドで踊り出し、古田さんや高津に「アホか」と言われて「オマ...
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同じ助っ人でも対照的…ラミレスとペタジーニの微妙な関係
DeNAの監督になってはや5年、すっかりベイスターズの顔として定着したのがアレックス・ラミレス(45)、通称ラミちゃんです。 ヤクルト入団1年目の2001年には、打率・280、29本塁打、88打点と活躍しましたが、弱点がなか...
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ヤクルト史上最強の助っ人はペタジーニだと思っている
ヤクルトといえば、助っ人外国人選手を獲得するのが上手という印象を持っているファンの方も多いのではないでしょうか。僕が在籍していた1980年代終盤から2000年代序盤にかけて、野手だけでもパリッシュやハウエル、オマリー、ホージー、ペタ...
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とてもマネできない「小さな大打者」若松勉さんの打撃理論
「ヤクルトファンの皆さま、本当におめでとうございます」 2001年のリーグ優勝時、こう言ってファンを祝福したのが、当時監督だった若松勉さん(73)です。選手、ファンを大いに盛り上げたこの名言は、後に巨人の原監督などが引用してい...
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故・関根潤三監督を鬼だと…“地獄の伊東キャンプ”の思い出
■今年4月に永眠 僕がプロ入りした1987年、ヤクルトの指揮を執っていたのが今年4月に93歳で亡くなられた関根潤三さんです。 関根さんは89年に退任し、野村監督にバトンタッチ。僕が一軍に定着するようになったのは90年か...
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不動の4番・広沢さんの“オーバーリアクション”に戦々恐々
僕が一軍に定着するようになった1990年、広沢克実さん(58)はすでに主砲としてバリバリのレギュラーでした。 野村監督が就任した90年からは多くの試合で4番広沢さん、5番池山さんのタッグ。ふたりが並んだ「HI砲」を覚えている...
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“怒られるまでやっちゃえ”だった川崎憲次郎が技巧派に変身
ヤクルト黄金時代に活躍した投手のひとりが、川崎憲次郎(49)です。 僕の2年後輩ですが、なんというか……気を使わないというか、なれなれしいというか。僕のことを「哲ちゃん」と呼ぶんですからね。昔から、あまり上下関係を気にしない...
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夜中の屋上で…ロマンチストなギャオス内藤の意外な趣味
ドラフト同期で仲が良かった選手といえば、同い年のギャオスこと内藤尚行(51)です。彼とは高卒1年目から常に一緒に行動していました。ここで書けない話も、たくさん知っています。 同期の中で、彼が一番初めに一軍に昇格したときは正直...
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土橋勝征は僕と犬猿の仲だと思われていた同郷同期入団選手
無口でマジメ、黙々と練習をし、決してグチや弱音を吐かない――それが野村ヤクルトのいぶし銀、土橋勝征(51=現ヤクルト二軍内野守備走塁コーチ)です。 僕とは同じ千葉県出身で、1986年のドラフトも同期(土橋は2位指名)。高校時...
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伊藤智仁のスライダーはまるで「交差点の左折同士」だった
伊藤智仁(49=現楽天投手チーフコーチ)のスライダーは日本一、いや、世界一だと言っても過言ではないでしょう。彼が活躍した年は何年もありませんが、強烈なインパクトをファンのみならず、僕ら選手にも与えてくれました。 ルーキーイヤ...