「保守論壇亡国論」山崎行太郎著
■ネットメディアの「フォロワー」化した保守論壇
保守というより極右。そういいたくなるほどの昨今の右傾化。はたして「保守」とは何なのか。
江藤淳に私淑し、三島由紀夫を敬愛し、青年時代から保守を自任してきた団塊世代の著者。その人物が近年では最も活発な保守論壇批判の一人になっている。本書で批判されるのは桜井よしこ、中西輝政、西部邁、渡部昇一、西尾幹二ら名だたる現代の保守系知識人たち。彼らに1章ずつを割いて徹底批判を試みる。
各章ではそれぞれの過去の論文や発言を広く参照し、多数の引用で言論のブレや変節を指摘しているが、注目は保守論壇の堕落を論じた第1章だろう。そもそも保守とは「いまあるものを保守する」ものだ。つまり保守は何らかの信条を貫こうとするイデオロギーではなく、「生き方や考え方のスタイル」なのだという。
ところが左翼から転向した西部のような言論人は、みずからの転向の正当性を主張するためにも「保守」を「定義」しなければならなくなり、これに追随・追従する手合いがどっと増えてきたというのである。これはいわば保守論壇というものが昨今の若者たちが愛好するネットメディアの「フォロワー」のようになっているということだろう。寒々とした思想の荒れ野である。