シブヤ的日常へと連れ去る「95青春世代」必読の書
「95」早見和真著
1995年、といえば?阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、は誰もが思い浮かべるにちがいない。では、「渋谷ファイヤー通り大騒動」を想起する人はどれほどいるだろうか。本書は、この騒動を真っ先に思い出す者、というより、その渦中にいた者たちの物語である。
主人公Qは、渋谷にある進学高に通うという「超都会的」な点を除けば、一般家庭に生まれ育った平凡な高校生にすぎなかった。だが、95年3月20日、彼の人生は反転する。サリン事件の直後、異様な空気が渦巻く渋谷で、同年代の女性がエンコー(援交)している現場を目撃してしまうのだ。その瞬間、Qのなかで何かがキレる。「ダサい大人にはなりたくない」
「人の死」を見たのと同時に訪れたこの思いは、Qを、僕たち(つまり評者を含む70年代半ば生まれ前後の男たち)のいる日常から、シブヤ的日常へと連れ去る。そうして、これまで交流のなかった(政治家やヤクザの息子といった)派手な連中が仲間になっていく。もちろん、髪は金髪になり、とびっきりの美少女たちとも出会うようになる。
あっという間に半年が過ぎ、迎えた95年最後の日。「二度と戻らない高2」の記念に、あるイベントを大晦日の夜に決行するアイデアをQたちは進めていた。それは、渋谷の街中に喜びを届け、特別な思いを寄せるあの子にもしっかり届くはずだった。
しかし――。そのときに起きたのが、例の渋谷ファイヤー通り大騒動である。例の、と書いたが、むろん、作者が考案した架空の事件にすぎない。ただし、同時代を生きた者にとって、たしかに「起きた」としか思えない事件である。それほどに、当時10代後半だった者たちにとって、たとえ行ったことがなくても、どんな地方に住んでいようが、「シブヤ」は無視することのできない場所なのだ。僕たちはみな、その街で起こる非日常な「かっこよさ」に毒されていた。おそらく、作者にとって、この95年に正対することは、避けて通ることのできない「毒抜き」だったのではないか。同様に、僕たち世代は「シブヤ」を昇華することなしに、次には進めない。本書は、そのことを教えてくれる、「95青春世代」必読の書と言える。(KADOKAWA 1600円+税)