1人の勇気ある行動が社会を変えることもある
「橋を渡る」吉田修一著/文藝春秋 2016年3月
2015年と2085年の時空を超えて描かれた傑作だ。「週刊文春」に連載時に起きた都議会のセクハラ野次事件、パキスタンのマララさんのノーベル平和賞受賞、香港の雨傘革命などを作品に巧みに取り込んでいる。夏目漱石の「それから」を彷彿させる作風だ。
特に興味深かったのが、里見謙一郎の性格だ。社会派のテレビジャーナリストで正義感が強い。自分が常に正しいと考えている。婚約者の本田薫子が昔付き合っていた元カレとの関係が切れないでいることを察知した謙一郎は元カレを尾行する。
そして、薫子と会っている現場に踏み込み、強引に彼女を連れ出す。しばらくして、謙一郎と薫子は軽井沢に旅行するが、そのとき薫子から結婚を考えなおしたいと言われる。
〈「間違ってるよ。薫子は間違ってる……」
謙一郎は首を振った。
薫子は涙ぐんでいる。
「……うん、間違っている。きっと謙ちゃんが正しい……」
「だったら……」
「だから!」
興奮した薫子が声を荒らげ、しかしすぐに項垂れて、「……だから、私が間違ってるの。……でも私には、間違っている自分のほうが正しく見えるのよ」と泣き崩れた。〉
恋愛は、どちらが正しいとか間違えているといった基準で判断することはできない。この2人がどういう結末をたどるかについて紹介することは、読書の楽しみを奪うことになるので差し控える。
謙一郎は、時間旅行者となり、2085年の世界を見ることになる。その世界は、ユートピアでもなければ、ディストピアでもない。
人間には、善い面もあれば、悪い面もある。人間が作り出す社会も、当然、善悪両方の要素を含んでいるのである。同時に、1人の人間が少しだけリスクを冒して取った勇気ある行動が、社会を大きく変えることもある。2015年に「週刊文春」にある情報提供の電話がなされるか、なされないかで、70年後の世界が大きく変化することが暗示されている。スキャンダルを扱う週刊誌や夕刊紙が歴史に重要な影響を与えていることをこの作品は見事に描き出している。★★★(選者・佐藤優)