「民主主義」をあきらめないために
「民主主義の内なる敵」ツヴェタン・トドロフ著、大谷尚文訳(みすず書房 4500円+税)
私たちは今、本当に民主主義的な社会に住んでいるのだろうか?
本書は、24歳まで「全体主義」のブルガリアで過ごし、そこを逃れて残りの3分の2の人生を「自由の国」フランスで生きた思想家の手によるものである。人間の幸福にとって「自由」や「民主主義」がいかに重要であるか、著者自身が身をもって知っている。
しかし、「全体主義」に勝利し、この地上でいわば無敵の教義となった「民主主義」は今、本当に私たちを幸福にしているのか。著者の問いかけは根源的である。
確かに選挙や複数政党制など、制度としての「民主主義」は地球大に広がった。しかし、その「民主主義の衣装」をまとった社会の中身は、著者が「政治的なメシア信仰」「個人の専横」「新自由主義」と呼ぶような重い病に侵されている。そして何よりも深刻なのは、その病が私たちの体制の外側からではなく、今度はまさに私たち自身から生み出されているという事実である。
「自由のある種の使用法は民主主義にとって危険である」。そしてまた、「民主主義は自分自身のうちに民主主義を脅かす諸力を分泌する」のである。
いわば、慎みを忘れた私たちの「自由」「ヒュブリス(傲慢)」こそが「民主主義の内なる敵」となっている。著者が何度も言及する福島の原発事故もまた、社会的責任よりもすべてにおいて個人的な利益を優先する「新自由主義」の結末であった。
それではどうすればいいのか。今度の敵は私たち自身である。まずは「民主主義」をあきらめないこと。本書が示唆するように、「民主主義の現実をその理想により近づけること」は可能である。世界と人間の不完全性を引き受けながら、「それでもなお」工夫を凝らし、他者と共に出来る限り非人間化した社会を変革していくことは可能である。
本書は、現代における「民主主義」の病理に深く迫る。しかしそのことによって逆に、現代における「民主主義の生命力」を回復する手だても指し示している。