殺人にまで追い込まれる介護地獄の実態
「介護殺人」毎日新聞大阪社会部取材班著(新潮社 1300円+税)
他人ならば起こらない。介護が必要な相手に見切りをつけられる。だが、愛する家族となると、そうはいかない。寄り添うからこそ起きてしまう悲劇。それが介護殺人だ。
この本は、昨年12月から今年6月まで毎日新聞大阪本社発行版に掲載されたシリーズ企画をもとに、介護殺人を犯した当事者の声を集めたもの。そこにあるのは、殺人にまで追い込まれる介護地獄の実態である。
例えば、認知症を患うと相手が誰かも忘れて、暴言を吐き、暴力を振るう。深夜に奇声を上げる。外を徘徊する。それでも排泄の世話をしなければならず、夜に複数回はトイレに連れて行く。もちろん、家事もこなす。年老いた体にはこたえる。これが連日続く。やがて疲労は蓄積し、寝不足になり、それがうつ病を誘発する。意思とは裏腹に、いつの間にか寄り添う相手の首を絞めていた……。このパターンが取り返しのつかない結末にたどり着いている。
施設に入れようにも、余裕がないと断られ、また伴侶や父母の面倒は最後まで自分で見たいという愛情が、こうした事態を招き込む。
〈厚生労働省によると、2012年の国内の認知症患者は462万人(推計)。2025年には約700万人まで増え、高齢者の5人に1人が患者になると見込まれている〉
〈介護保険のサービスを利用するために必要な要介護・要支援の認定を受けた人は2014年度にはじめて600万人を突破した。厚生労働省が2016年6月に発表した606万人(2015年3月末時点)という数字は、介護社会の本格的な到来を証するものだ〉
新聞報道らしく、書き込まれた具体的な数字が、暗澹たる気分にさせる。
介護殺人は、裁判員裁判によって裁かれる。同制度がはじまって7年になるが、その傾向として性犯罪に対する厳罰化と、こうした事件の減刑が挙げられる。
本書に登場する殺人者もほとんどが執行猶予が付いたり、2~3年の短い実刑で済んでいる。だが、これだけ介護殺人が後を絶たない中で、いつまでも同情判決が許容されていいものだろうか。介護制度の見直しを放置する国が、この現状を容認している。