「政治学者、PTA会長になる」岡田憲治氏
「多くの中年男性にとって、PTAの活動って連れ合いさんが大変そうにやっているもので、正直他人事ですよね。だけど、この本を読んだ人から『これってうちの会社の話じゃない?』と言われるくらい、PTAで起きていることと会社などの組織で起きていることは似ています。日本の組織で起こる出来事が典型的な形で表れているのがPTAなんです」
47歳で人の親になり、子どもが小学校に入学するまではPTAに1ミリも心を寄せたことがなかった。
しかし、半世紀ぶりに小学校に足を踏み入れ、不可解な会合に駆り出される人たちを目撃して違和感を口にしていたら、役員の選考委員から「PTA会長になってくれ」とのオファーを受けてしまい──。
本書は、行きがかりから義憤に駆られてPTA会長の役目を果たすことになった一人の父親が体当たりで飛び込んだPTA体験記である。
「みんなが負担に感じている慣例や、誰も幸せにしていない無駄だと思っている仕事をスリム化して楽しくやろうと思っていたんですが、いざ進めようとすると、運動会のお茶くみシフト問題、割に合わないベルマーク運動、年々活動が低下する古紙回収活動などの壁が立ちはだかりました(笑)」
■自治の正論だけでは少しも動かない!?
本書では、強固な前例踏襲の歴史のもとで、何をカットして何をやるべきか、さまざまな保護者の本音を察知しつつ話し合いを続けた様子がリアルに描かれ、そこで政治学者の著者が説く自治の正論だけでは世界は少しも動かないという「敗戦と学習の弁」も語られている。
「日本人の多くは、自分をある年齢になったら既存の団体に自然に吸収される存在だと思っています。でも本来、団体というのは共通目的を持った人による人為的な機能集団なのです。任意『団体』のPTAを、多くの人が学校や行政の下請け組織だと誤解している。最近文科省までがPTAは任意団体だと注意喚起したほどなのですが、みな強制義務だと思って一生懸命合わせようとするんですね。これは教育の問題でもあって、日本人は、みんな与えられた教科書通りにやることで安心する、自分で考えない優等生を目指します。教科書ガイドを丸暗記して受験突破した人たちが、親になって子を持っても、PTAで同じことをしているんです」
公務員や団体職員が配属場所で前年度のマニュアルを踏襲して無事に任期を終えることだけに集中したり、企業内でも意味のない前例を廃止して新しいことをしようとする試みが前任者から猛反発を受けて挫折するなどの例が絶えないが、それと同じ問題がPTA活動の中で見えてくる。自分で判断できる人間があまり育ってこなかったことの表れである。
しかしコロナ禍を経て、「なんで今までこんなことをしていたんだろう」と、言われずともいろいろなものを見直そうとする人が現れ、確実に地域参加しようと試みる若い男性世代が増えてきたことも事実だ。
「私の実感として、必ずしもPTAじゃなくても、オヤジには会社でも家でもない第3の場所、サードプレイスが必要なのではないかと思うんです。いわば、大人の“はらっぱ”ですね。義務とか業績とか関係ない場所で、目の前にいる人々と自分の幸せを丁寧に考えていく。会社では弱音は吐けないかもしれないけれど、そこでは『俺って弱いんだよね』と言ってもいい。逆に勘違いして自分の職場みたいに行動してはダメですね」
著者の場合は、たまたま一番身近で、自分の愛する子どもがいる学校や地域を応援する活動ということもあって、PTA参加につながった。
「子供のことを一緒に寄り添って考えれば、当然連れ合いが自分を見る目も変わってくるから、家庭の運営も改善されます。今は、PTA会長の任期を終え、地元の『はらっぱプレーパーク』という団体の世話人をしています。ぜひゲンダイ読者の方にも、出入り自由なサードプレイスを見つけてほしいですね」
(毎日新聞出版 1760円)
▽おかだ・けんじ 1962年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。専修大学法学部教授。熱烈な広島カープファンで2児の父。著書に「なぜリベラルは敗け続けるのか」「デモクラシーは、仁義である」などがある。