「マイホーム山谷」末並俊司氏
「植え込みに寝そべる人、電柱に寄りかかってカップ酒をあおる人、道路の隅にしゃがみ、ちびたたばこをくわえる人。初めて山谷の中心部に足を踏み入れたとき、路上生活者とおぼしき男性たちがたむろしていて驚きました。最初は非日常の風景だと思いましたが、私自身、いつ仕事を失っても不思議でないフリーランスライターの身。彼らの姿に、明日の我が身を見た気になったんです」
山谷とは浅草の北方2キロほどにあり、かつて日雇い労働者が集住した地域だ。今、圧倒的に多いのは、高齢になり生活保護を受給して暮らす彼ら。他の地から流れてきた人や、路上生活者も少なくない。「今後自分が全てを失っても、ここに来ればなんとかなる」という、いわく「不遜な気持ち」になった著者は、この町をもっと知りたいという思いに駆られた。
地域内に困窮者のための21室のホスピス施設「きぼうのいえ」があり、創設者で、上智大学神学部出身のクリスチャン「山本雅基」の存在を知る。その山本さんの姿を追いながら、外からはなかなか見えてこない山谷地域の福祉の状況を描いたのが本書だ。
■施設は映画「おとうと」のモデル
「『きぼうのいえ』は、入居者の自由意思を尊重する型破りな施設。2010年封切りの映画『おとうと』(山田洋次監督)のモデルになったり、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』に取り上げられたこともあります。山本さんは『山谷のシンドラー』と言われるほどの人でした。ところが、私がきぼうのいえに隣接する自宅を初めて訪ねた2018年、様相が変わっていた。当時、山本さんは56歳。きぼうのいえの理事長を解任され、無収入に。家の中は荒れ放題。親の遺産と、自宅を抵当に入れた借金でなんとか暮らしている状態だったんです」
ましてや、きぼうのいえを共に運営してきた看護師の妻が、スタッフだった男と一緒に姿を消していた。一体何があったのか。著者の追跡が始まる。
「僕は亡くなった父と話ができる。霊界通信というやつ」。そんな言葉を山本さんが発する。きぼうのいえでも、傍若無人な言動を多々していた。心の病を患っていたと分かってくる。
「山本さんは治療を受けていましたが、私が自宅に通い出してからも状態が日に日に悪化。経済的にも行き詰まり、自宅にいられなくなった。2020年11月に山谷の1Kの別の場所に引っ越し、今は生活保護を受給して一人で暮らしています。別の場所に移ってからも、私はたびたび会いに行っていますが、やたら元気な日もあれば、病気からくる気分の落ち込みの激しい日もあります」
山本さんは、困窮者を支援する側から支援される側に移行したわけだ。客観的に見れば入院が妥当だが、山本さんは「絶対に山谷から離れたくない」と訴えているという。
月2回の訪問診療と、週2~3回の訪問看護、週2回の訪問ヘルパーの援助、1日2食の宅配弁当の支給を受けている。それらは公的医療保険の支援制度内だが、単身の困窮者に手を差し伸べてきた歴史を持つ山谷地域には支援団体がいくつもあり、“プラスアルファ”が提供されていると著者は見る。
「看護師の方が、山本さんに成り代わって借金相手に連絡したり、ヘルパーの方が部屋の片付けをしたり。決められた業務以外のことも家族のようになさっています。誤解を恐れずに言うと、山谷は山本さんのように重い病気を抱えながら一人で暮らす人が多い地である一方、『困っている人のために何かをしたい人』が集まってくる地。奉仕の精神や善意による、いわば山谷版地域包括ケアシステムが機能しているのです。日本中で単身高齢者の社会的孤立がますます課題になる中、山谷のシステムには、今後の福祉のヒントがあると思います」
(小学館 1650円)
▽すえなみ・しゅんじ 1968年福岡県生まれ。介護ジャーナリスト。日本大学芸術学部卒。テレビ番組制作会社勤務を経てライターに。両親の在宅介護を機に、2017年に介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)を取得。「週刊ポスト」などで、介護・福祉分野を軸に取材・執筆を続ける。本作で第28回小学館ノンフィクション大賞を受賞。