金井真紀(文筆家・イラストレーター)
5月×日 肌寒いので、四股を踏む。阿炎のような美しいフォームをイメージして足を上げるのだけど、3回に1回はよろける。照ノ富士の土俵入りみたいにドスン! と足を踏みしめたいが、ここは集合住宅。そーっと着地する。それでも20回続けると身体がポカポカしてきた。
運動神経がまるでない人生だ。体育の授業やアウトドア遊びのときは、無様な姿が目立ちませんようにとそればかり願ってこそこそとやり過ごしてきた。そんなわたしが40を過ぎた頃からどんどん図々しくなった。他人がどう思おうが知ったこっちゃない。自分がやりたいと思ったらやってみよう。それでフットサル、キャッチボール、平泳ぎ、お相撲、キックボクシング……と謎の初挑戦を続けている。周囲は呆れ顔だ。
どの競技もびっくりするほど下手なんだけど、なんだかうれしい。だって気持ちが縮こまりそうになったら、いつだって思えるのだ。てやんでい、わたしだってフットサルの試合に出たことあんだぞ、こう見えてお相撲さんなんだぞ、簡単にビビると思うなよ、と。
キム・ホンビ著「多情所感」(小山内園子訳 白水社 2090円)は韓国の人気エッセイストの最新刊。中年になってからおずおずとボールを蹴ってみたのはわたしと同じだが、彼女は地元チームに入部するほどサッカーにどハマりした。そんな彼女は「サッカーをやって一番よかった点」を問われて「ちゃんと戦えるようになりましたね、たとえば、大家さんと」と答える。相手を女と見くびって理不尽に怒鳴る大家に怒鳴り返すことができたのは、サッカーのおかげだと。そうそう、そうなんですよ! とわたしは激しく頷いた。
それにしても、キム・ホンビさんはクスクス笑えてしみじみできるエピソードを拾う天才だなぁ。一編ずつ味わって本当に楽しい読書だった。散りばめられた韓国文化の断片がまた興味深かった。わたしたちはビビらなくていい。もっと伸び伸び生きていい。さーて、四股踏むぞー。