ファミコン世代のノスタルジー
「僕たちの保存」長嶋有著
かつて一世を風靡した「ファミコン」。インターネット出現以前、盛り上がったパソコンやゲーム文化が、いま熱いノスタルジーの的になっている。
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「僕たちの保存」長嶋有著
ファミコン世代は団塊ジュニア世代とほぼ重なる。スマホ以前に青春時代を送り、パソコン通信に胸躍らせ、オタク文化を先導した。他方で就職氷河期世代でもあり、人口が多かった割には既婚者が少なく、少子化の先駆けにもなった。イーロン・マスクもホリエモンも同世代だ。
そんな世代のリアリティーを描くのがこの小説。主人公の「僕」は50代。デザインの仕事をしながら古着や中古ファミコンソフトを商う。
短編はそれぞれ、年上の知り合いに頼まれて遺品掘り出し物の引き取りに同行する話、震災で亡くなった人の遺品を取りに行った石巻を10年ぶりに同じ顔触れでまた訪ねる話など。全5作のどれにも、昔のMSXパソコンやフロッピーディスクなどをめぐるとりとめのない想念があふれる。80年代に夢中になったパソコンの機種が何だったか、という小さな選択でその後の人生が大きく分岐しただろう、という小さなつぶやきが意外な伏線になる話も。
連作形式で全体がゆるやかにひとつにつながっている。単なるノスタルジーとは違う、奇妙な味の短編集だ。 (文藝春秋 1870円)
「昭和の僕らはバカでした」仲曽良ハミ著
「昭和の僕らはバカでした」仲曽良ハミ著
「“小学46年生”に突き刺さる!」と元気な惹句が帯に躍る。1977年生まれの団塊ジュニア世代のノスタルジーはファミコンにミニ四駆、ビックリマン、BB弾にキョンシー。
新潟生まれの著者はある日、コンビニが開店したと聞いて、夏の夜、お風呂上がりに姉ちゃんと田んぼのなかをパジャマ姿で歩いていく。着いた先はぴかぴかの店内。冷凍庫のアイスも見慣れた商品ばかりなのにどれも「新発売に見えた」というのが確かに! 「お祭り以外に夜の楽しみ方を知った」という一言にノスタルジーがにじむ。
友だちの家で飲んだカルピスがおいしくて、家でも原液たっぷりの甘々カルピスを作ってむせた話。学校の授業中、女子がなぜか小さく折りたたんだ手紙を先生の目を盗んで回すのに男子も協力させられた話。もちろんファミコンの話も。1本が4000~5000円したファミコンのカセット。友だちと貸し借り前提でそれぞれ購入するので、気をつけないと行方不明になる。そこでカセットに自分の名前を書くのだが、これがダサくてカッコ悪い! 人気ファミコンメーカーにいた「高橋名人」がある日、「ゲームは1日1時間」と言い出して焦った話。
マンガ「しなのんちのいくる」の作者らしい、あるある話満載の「超ノスタルジックエッセー」だ。 (ワニブックス 990円)
「198Xのファミコン狂騒曲」塩崎剛三著
「198Xのファミコン狂騒曲」塩崎剛三著
かつてアスキーという出版社があった。最初はコンピューターの技術情報を中心にした出版物を出していたが、やがて「月刊ログイン」がパソコンゲーム情報中心のエンタメ雑誌として大ヒット。日本のパソコン文化、ゲーム文化の一面を決定した。本書はこの「月刊ログイン」とそこから派生した弟雑誌「ファミコン通信」の編集者として一時代を築いた著者の手記。
前に紹介した「昭和の僕らはバカでした」がファミコンで遊んだ世代の回顧なら、こちらはファミコンのゲームや雑誌を作る側の回顧録だ。冒頭から登場するのは伝説の「ログイン」「ファミコン通信」編集長の小島文隆。大学生のアルバイトで気軽に編集部を訪ねた著者は見よう見まねでゲームを作り、雑誌編集を覚え、やがて業界でも有名な編集者・ゲーム開発者になっていく。当時の「ファミ通」愛読者なら「東府屋ファミ坊」のペンネームで書かれた記事を覚えているだろう。
どんな人気業界にも少年のような無私の情熱にあふれた時代がある。いまや古希も近くなった著者の乾いたノスタルジーが行間にあふれる。 (SBクリエイティブ 2200円)