胃がんと脳出血を患った 宮川大助 花子
病理検査の結果も良好で「99%転移の可能性なし」。早期だった。しかし、手術はつらかったという。花子は後に「痛い思い出しかない」と語っている。
花子は1カ月入院、その後、2カ月の療養生活を経て復帰。だが、夫婦の間に危機が訪れる。うすうす病気に感づいた花子はヤケっぱちな気分になり、夜遅くまで飲み歩くこともしばしば。この時の気持ちを今年2月の日刊ゲンダイ本紙連載で花子は「『生きてるうちに、やりたいことやったる』ってなってしまった」と語った。
注意をする大助との喧嘩が絶えなくなった。つかみ合いの喧嘩は日常茶飯事。家の中は荒れた。
ついには花子が離婚届を突きつけるところまで行ったが、長女(漫才コンビ「さゆみ・ひかり」の宮川さゆみ)の涙を見た2人は我に返り、夫婦関係を修復した。
そして手術から5年経過後の93年、定期検査で転移はなかった。「これでもう再発の可能性はない」と花子には正式な病名が告げられた。マスコミにがんだったことが正式に明かされたのは翌年2月だった。
07年2月、今度は大助に危機が訪れる。大助は突然「頭の線がぶちっと切れた」ような感覚に襲われる。その次の瞬間に体がしびれ始める。病院に行くと脳出血との診断。症状はどんどん悪化する。「今晩がヤマ」との医師の話を聞いた花子は、さゆみに「棺桶を2つ用意して」と言う。大助が死んだら本気で後追い心中をするつもりだったという。