AD時代はダメ社員だった 「そして父になる」是枝裕和監督
テレビマンユニオンは変わった会社で、1年目だけ給料制、2年目以降は出来高制という人事システムだった。そこで大抵は皆ADの仕事を続けるが、是枝は「こんなくだらない仕事を」と断ってしまった。そんな理由で3カ月の「出社拒否」を3回繰り返し、社内でも干されるダメ社員だった。
<家族へのこだわり>
是枝作品を見ていると、主人公の父や母が重要な役割を担っていることが多い。そのほとんどが、実際の父や母を投影したものといわれる。たとえば、「歩いても 歩いても」で樹木希林演じた母親のセリフには、作品の直前に亡くなった母の言葉がちりばめられている。連続ドラマ「ゴーイングマイホーム」に登場する放蕩(ほうとう)な父親も実際の父親をモデルにしたといわれる。
<両親>
では、実際の両親はどんな人たちだったか。父親は敗戦を牡丹江で迎え、3年間シベリアで強制労働を経験している。そこで、人生観が変わったのか、ほとんど家に寄りつくことはなかったという。一応、化学薬品会社で働いていたが、給料をもらうと、そのままドロン。2週間帰ってこないこともしょっちゅうで、2000年に亡くなるまで息子との会話らしい会話は皆無。そのため、父に代わって一家を支えた母親は05年に亡くなるまで、働きづめの毎日だったという。