紅白引退の“御大”に意外な過去…北島三郎は漫才師だった!
■その名も「ゲルピン・ちん太・ぽん太」
デビューさせヒット歌手に育ててくれた恩師である、作曲家・船村徹にも義理を欠かさない。船村は北島が歌手デビュー前、歌謡漫才コンビ「ゲルピン・ちん太・ぽん太」を組ませ、“ぽん太”として舞台の前座を務めさせたこともあった。
流しも恥ずかしくてたまらなかったという北島、漫才をするのはさぞつらかっただろうが、北島は今も「船村徹同門会」の名誉相談役を務めている。紅白引退の報告もしている。
派手な豪邸暮らしなどはよく知られているが、寄付などボランティアにも積極的。
かつてはディナーショーの収入を全額寄付したり、ブラジルの日系病院建設に730万円も寄付をしたりした。
東日本大震災の際には歌手仲間で「演歌義援金」を送り、復興支援チャリティーコンサートを開いた。周囲へのこうした地道で小まめな心遣いも、50回も紅白に出演し続けられた理由に違いない。