「相棒」で共演 川原和久と六角精児の“微妙な写真”
この時は32歳で、日大芸術学部演劇学科演技コースを卒業してから10年近くたった頃。ボクは大学2年の時、同じ演劇学科の仲間と「劇団ショーマ」を立ち上げ、卒業後も劇団を続けていました。故郷・福岡の父親は銀行員か公務員になってほしいと思っていたから、日芸に進むことにも大反対され、「大学4年までしか面倒をみてやらない」と言われていたんですけど、劇団の観客動員がどんどん増え、大学を出た後もやめるにやめられなくなって続けていたんです。ええ、顔つきがこんなだから、当時から鬼軍曹とか刑事とか、コワモテの役が多かったですね。
この写真の頃は、テレビの仕事が増えるかなあ、という頃。まだ芝居とアルバイトに明け暮れる日々で、稼ぎが多いバイトのほうが仕事、本業、という感覚でしたね。
■「シーズン6」まで塗装のバイト
バイトは池袋にある某ホテルの厨房の掃除とか、いろいろやりました。一番長く続いたのは26、27歳の頃始めた塗装屋の仕事。大学時代に所属していた「ミュージカル研究会」の先輩に、父親が塗装の会社を経営している人がいて、その縁で紹介してもらったんです。