あいざき進也が明かす…アイドルからボーヤに転落した壮絶
苦労するのは23歳から。当時のアイドルは中高生だけをターゲットにしてたので、仕事が減ってきた。すると部長から「大人の歌を歌うためには世の中を知らなきゃいけない。勉強に行ってこい」と。行かされたところが寺内タケシさん。「うちでは特別扱いはしない。明日からバンドボーイだ」と寺内さんに言われて。ボーヤとも呼ばれてた仕事です。
休業前のコンサートでは「自分の思いで一から勉強したい」とファンに報告。それから寮に入って寺内タケシとブルージーンズのボーヤを務める毎日です。お茶くみや肩揉みは当たり前。年250本以上のコンサートのため機材を積んだトラック数台で移動。当時の寺内さんの機材はすごくて10トンくらいで、会場に着くとその機材を10人で運んでセッティング。楽器運び、衣装の管理など裏方全般から身の回りの世話までやりました。
寺内さんのところは、軍隊の階級制度と同じで、寺内さんは元帥、相部屋の先輩は19歳だけど軍曹。僕は初年兵。一番底辺だから二等兵のボーヤの言うことも聞かなきゃいけない。とにかく、この仕事を続けなければ音楽の道が途絶えるからと必死でやりました。