じゅんいちダビッドソンのネタ生んだ不遇時代のバイト経験
「R―1」決勝で披露した「深夜のスーパーでクレームの電話を受ける本田圭佑」というネタがウケ、芸歴18年目にしてブレーク。この「深夜のスーパー」「クレーム処理」は不遇時代にこなしてきた数々のバイト経験のたまものだった。
芸人としてのギャラは16年目までほぼずっとゼロでした。つい2年くらい前まで「年収」が10万円いくかいかないかくらいで、ゼロの月が年に8回くらいありました。一昨年も年収三十数万円くらいで。たまに営業に出て4万円くらい入ってくるときがあるから、そのときはなかなかの金持ちでした。当時はお笑いの給料って基本ないと思っていて、あまりに仕事がなくて、どんな内容の仕事をしてもらったギャラかも覚えてないような感じでした。
■本田選手とライブに出たい
ギャラがない代わり、バイトでしっかり月18万円くらい稼いでました。東京出てきてからやったのは引っ越し屋、深夜のスーパー、サンプリングディレクター(車で街中でサンプルを配る女の子のストック補充)、コールセンターでクレーム処理。あとは車の修理工場で修理が終わった車に乗って持ち主の家まで行って代車に乗って帰ってくるバイトとか。駐車場を閉鎖するバイトもやりました。朝、駐車場に行って車が1台も止まってなかったら入り口をチェーンで封鎖して、日給8000円。もし車があったらその車が出て空っぽになるまで待ち続けてチェーンをかけるというだけ。夜中のビリヤード場のバイトなんて、常連客の相手するためにビリヤードやりながらお酒飲んで楽でしたけど、東京で夜勤で750円でした(笑い)。