日本酒党のダニエル・カールさん 飲みっぷりは町の語り草
そして飛び級で大学を卒業後、改めて来日して山形へ。県教育委員会に籍を置き、県内に210校あった中学・高校で英語を教えていました。81年、オラは21歳でした。お酒が強くなったのは山形だったからでしょうね。当時は県内各地に77もの蔵元があって、それぞれが個性的でおいしいんです。水が良くて米が良くて、気候も醸造に適している。もちろん、杜氏さんの腕もいい。
加えて、教育委員会の皆さんが酒豪ばかり。事あるごとに居酒屋に誘ってくれました。うれしかったのは歓迎会の返杯。一つのおちょこで差しつ差されつ。オラ、あれが好きでね。形じゃねぐ(なくて)、心で迎えてくれてるんだなあって。それに、日替わりで各地の学校へ行きますでしょ。行けば、そこでも「飲んでけ、飲んでけ」。冷酒のあまりの飲みやすさに何度も痛い目に遭ったけど。
そして、秋は名物の芋煮。河原でおっきな鍋を囲んで、皆でワイワイやりました。毎日、旅行に行ってるみてぇで、日本の良さを日本酒とともに味わってたなあ。
■友人と3人で日本酒7升イケちゃった