芸能人感覚抜けない今井絵理子 「略奪不倫」否定の的外れ
今井が歌手だったなら事務所がメディアの交通整理をしただろうが、今は一議員。立場上、2人は即座に会見したが、男女の関係は暗に否定。「一線は越えてない」との言い訳に終始していた。ホテルだけでなく今井の部屋にも橋本氏が泊まっていた事実まであり、醜い言い訳にしか聞こえない。
なかでも今井が特に強調していた「略奪不倫ではありません」という言葉。橋本氏の夫婦関係の破綻の一因にさせられることを嫌ったのだろうが、略奪は不倫の結果であって、略奪の有無は今の時点ではあまり意味はない。誰もが不倫と思っているのに、自分の身を守るための弁明は、自分の首を絞める行為に等しい。それがメディアの後追い取材。テレビが橋本氏の妻の反論を主体に報じれば、週刊誌は今井の過去の男性遍歴から言動の数々。さらに現在の生活の実態を洗いざらい報じる。さらなる恥部をさらすかのように。
要は、「こんなことをしてきた人ですよ」と報じることで、彼女の弁明の信憑性を問う効果がある。安倍首相の答弁でお馴染みになったメディアによる「印象操作」のようなものである。今さら「なぜ議員に選んだ」と言ったところで後の祭り。いまだに今井は芸能人感覚が抜けていない。