球場で孤立…大島さと子を救った巨人藤田元監督の気遣い
その日から取材場所は藤田監督のそば。いつしか暗黙の了解ができ、シーズン中も変わりませんでした。それがどれだけ精神的に助かったことか。監督の気配りが本当にうれしかったですね。
ただ、「チャラチャラしてるんじゃねえ!」と吐き捨てる記者もいて、グサリと傷ついたことが何度もありました。人前で涙は見せたくなかったから、目につきにくいバックネット裏の最上段の席にしゃがみ込み、ひとり涙を流したことは片手で足りません。
そんな82年。ジャイアンツは残念ながらリーグ2位でしたが、番組は高視聴率を挙げて、私にとってはとても充実した一年でした。
■監督に渡されたグラウンドコートの暖かさ
2年目には、こんなこともありました。当時の練習場は河川敷にある多摩川グラウンド。冬は冷たい風が吹き抜けます。3月のある日、完全防寒で行ったはずなのにすごく寒くてね。
他の記者はドラム缶を切ってたき火をする“ガンガン”で暖をとっていて、私はいつものように監督のそばにいました。そうしたら「寒いだろ?」って着ていらしたグラウンドコートを渡してくださったんです。