反原発ソング発売中止への怒りがタイマーズを誕生させた
「清志郎さんは、普段はいたって穏やかな人。その彼が本気で怒りをあらわにしていた。一連の歌詞は、日本レコード協会内に組織された『レコード制作基準倫理委員会(レコ倫)』の許諾も下り、著作権上の問題もなかった。発売中止発表の直前、RCの九州ツアーが始まって、『万が一、発売にならなかったらハメられたと思ってくれ』と、ステージ上からも怒りをぶちまけてました」
朝日、読売、毎日の3紙に「カバーズは素晴らしすぎて発売できません」という奇妙なお詫び広告が掲載された。これは東芝EMIの担当者が返答に困った末、「素晴らしすぎて出せない」と告げたことで、清志郎が「ならば、そのまま新聞に出してくれ」と求めたためだった。
この騒動でため込んだ怒りのマグマが、88年8月結成のタイマーズへの活動につながっていく。メンバーは、忌野清志郎、三宅伸治、川上剛、杉山章二丸の4人。片岡さんの夫、ロケット・マツもアコーディオンで参加したこともあった。
「土木作業員風のファッション。メンバーが集まって、作業着のカタログを眺めながら『ニッカーボッカーはもっと広がってる方がいい』とか『この地下足袋がカッコいい』とか、ああだこうだ楽しんでるんです。カタログ雑誌を見る女子のよう(笑い)。ステージも歌詞もカゲキなのにね」
富士急ハイランドの特設会場で行われたアン・ルイスのイベントで、タイマーズはシークレットバンドとしてお披露目を果たす。「オラオラ、オラ~」と柄の悪い連中がステージに立つと、アン・ルイスを楽しみに集まった客は目が点になっていた。 (つづく)