矢沢永吉が苦渋の決断?長年のファン“出禁”踏み切った理由
1998年には海外の不動産投資で35億円もの借金を抱えたものの、数年で完済。2012年には都内の一等地に15億円ともいわれる豪邸を建設できたのも、彼のビジネスセンスのおかげだろう。
「09年に矢沢さんは20年ほど所属した大手レコード会社から独立し、自主レーベルを立ち上げました。当時はまだネット配信などが少なく、レコード店などでは扱いが少ないインディーズでの活動は暴挙ではないかといわれていました。ですが、現在は音楽配信がCDに取って代わる勢いですし、アマゾンなどのレコード会社を通さない販売も確立しています。つまり、大手レコード会社に所属せずに活動する最近のアーティストの動きを、矢沢さんは先取りしたことになります」(レコード会社関係者)
矢沢が独立したころは国内では2億1000万枚ほどCDがリリースされたが、昨年は約1億4000万枚まで激減している。
「レコード会社は人気歌手の売り上げで新人を発掘するというビジネスモデルで成功してきたが、売れっ子歌手は、自分の売り上げは自分に還元してくれという思いが強い。矢沢さんの活躍を見た他の人気歌手も自主レーベルを立ち上げたいと思っているはずです。逮捕されたASKAも自主レーベルを作って成功している。今後、ますます歌手の収入源は、CDなどの販売よりライブなどのチケットやグッズ販売が主になってくるでしょう。だから矢沢さんは多くのファンを呼び続けるために、一部の暴走ファンの排除に踏み切ったのでしょうね」(芸能ジャーナリスト・浅見麟氏)
今年には古希になる矢沢だが、今でも音楽シーンのトップランナーであることに間違いないだろう――。