<5>落語への興味は笑福亭鶴瓶のラジオと枝雀の上方落語
落語に興味を抱いたきっかけは、笑福亭鶴瓶のラジオ番組とテレビで見た桂枝雀の上方落語だった。
「鶴瓶師匠のおしゃべりを毎週楽しみに聴いてました。枝雀師匠の落語は聴くたびに笑い転げました。本場の上方漫才よりも面白かったですね。この人たちみたいに明るく人を笑わせられたら、こんな面白い商売はないだろうなと、漠然と考えてました」
当時の歌之介は母親に反抗して、まともに会話をしてなかった。
「反抗期が続いてたんですかね。母親との会話は筆談でした。『銭湯に行く』とか『トマトが食べたい』とメモ用紙に書いて差し出すと、よく泣かれました。口があるんだからしゃべってくれって。今思うと親不孝でしたが、おかげで書くことが好きになりました。新作落語が書けるようになったのも筆談の効果かも(笑い)」
高校3年生になると就職先を決める時期が来た。テニス部顧問の先生が中華料理店を紹介してくれたが、賢は以前から考えていた落語家の道を選んだ。 (つづく)
(聞き手・吉川潮)
▽本名・野間賢。1959年、鹿児島県生まれ。高校卒業後の78年に3代目三遊亭円歌に入門。前座名は歌吾。82年、二つ目昇進。三遊亭きん歌と改名。87年、先輩18人抜きで真打ち昇進。初代三遊亭歌之介となる。19年、4代目三遊亭円歌を襲名。