志ん朝師匠がニコッと「ばあさん、のぶおが帰ってきたよ」
三遊亭好楽こと家入信夫は東京都豊島区出身で、子供の頃に母親が聞くラジオの演芸番組で落語の面白さを知った。
「先代金馬と柳亭痴楽が好きでしたね。若手では先代三平に歌奴(後の円歌)が面白くて」
京華商業高校に入ると、自宅に近い池袋演芸場に通うようになる。
「開演前から一番前に座って最後まで聴いてる。志ん朝師匠が、『またあの子が来てるよ』と言ってたことを、落語家になってご当人から伺いました。学生時代にラジオで先代林家正蔵の『鰍沢』を聴いて噺に引き込まれましてね。こういう師匠がいるんだ、落語家になるならこの師匠の弟子になりたいと門をたたいたわけです」
1966年、信夫は19歳。正蔵は当時70歳であった。
「年だからもう弟子は取らないと断られました。でもあきらめず、稲荷町のご自宅に日参して、3度目に初めて名前を聞かれたんです。家入信夫と名乗ると、師匠がニコッとほほ笑み、おかみさんに向かって、『ばあさん、のぶおが帰ってきたよ』とおっしゃった。のぶおというのは、戦後間もなく17歳で肺結核で亡くなった師匠の息子さんの名前だったんです」