健康増進に…新曲「マツケン・アスレチカ」に込めた思い
「いま思えば、69歳は若い。父も16の時に亡くしていますので、私自身は親の介護で苦労した経験はありません。もしもアスレチカで再びブームになれば、少しは当事者や介護する人への手助けになるかもしれない。そういう意味で、老人ホームというのは最初から意識していました」
おふくろの味だった「ちくわカレー」。貧しかった松平家のカレーには、肉の代わりにちくわが入っていた。食道楽でもある松平だが、何も高級店ばかりに行っているわけではなく、以前は築地市場に買い物に行った帰りに市場近くの寿司店や居酒屋に通っていたものだ。何げなく壁を見ると、サイン入り色紙が飾ってあったりする。
「石原裕次郎さんに憧れて16歳で豊橋から上京。『太陽の季節』や『狂った果実』の頃はまだ幼かったですが、10歳の時に『太平洋ひとりぼっち』を見て役者になろうと決意しました。東京には兄が一人いましたが、当時は携帯電話もなく、連絡もしなかった。もちろん、近くに兄が住んでいるというのは気持ち的にはラクでしたが、それより裕次郎さんみたいになりたいという目標が寂しさを紛らわしてくれました」