健康増進に…新曲「マツケン・アスレチカ」に込めた思い
愛知県立豊橋工業高校を中退した頃、父はすでに他界していた。母親には東京で働くとは伝えていたが、役者になるとまでは言っていなかったという。母に心配をかけまいとする息子なりの気遣いだったのだろう。
「高齢となれば日常生活においても動作が鈍る。スポーツというか、体を動かすことが大切です。それと笑顔。私が舞台で披露する歌は、客席が笑顔になるような明るいものが多い。いま思うと、勝新太郎の笑顔もすてきでした。豪快という言葉が当てはまる人でしたが、いったん仕事から離れると子供みたいなところがありましたね」
週2、3回のウオーキングで体調を整えている松平だが、大切にしているのは日常に笑いがある生活のようだ。
=おわり