明大在学中のたけしが「コメディアンになりたいんだけど」
ロック座が軽演劇を取り入れたのは、松倉さんの父・宇七さんが芝居好きだったからだという。
ロック座の4年後(51年)に浅草フランス座、その後は新宿フランス座、池袋フランス座と次々にオープンしていった。
「踊り子たちも出ずっぱりというわけにもいかないし、合間に軽演劇を挟むスタイルを考えたんですね。ストリップ1時間半に対して、1時間の芝居が入っていました」
“ハダカ”目的の客に生半可な芝居を見せていたらヤジが飛んでくる。演者はクオリティーの高いパフォーマンスをしなければならないし、ヤジを飛ばされたら絶妙なツッコミで切り返したり、客の関心を引くユーモアや皮肉も持ち合わせていなければならない。これが浅草芸人を育てたのだ。
浅草フランス座からは座付き作家として活躍した井上ひさしや俳優の渥美清も輩出している。
たけしの勤務先となったエレベーターは手動だった。1階から3階は東洋劇場で、4、5階にフランス座があった。その間を1台のエレベーターがつないでいた。たけしはそこで師匠となる深見千三郎と出会うことになる。=後編につづく