山川豊さん B面に吹き込んだ「おんなの宿」で念願デビュー
「僕がまだ6歳の時の歌です。ちょうど1964年の東京五輪が行われた年に大下八郎さんが歌った『おんなの宿』。この曲がデビューするきっかけをつくってくれたのです」
まだ小学校に上がったばかり。「もえて火となれ 灰となれ……」と、女心を情念たっぷりに歌った曲との縁はそれから十数年後のことだった。
20歳の時に出場した地元のカラオケ大会で優勝し、誘われるまま上京して東芝レコード(現ユニバーサルミュージック)のアルバイトになり、村田英雄ら東芝所属の歌手の背中を見ながら働いた。
「村田先生や松山恵子さんらと一緒にテレビ局回りをしながら、オーディションを受ける生活でした。1年後、A面に『恋あざみ』、B面に『おんなの宿』を吹き込んだテープを東芝のディレクターだった鈴木仙十郎さんに渡して、あるオーディションを受けたんですが、落ちた。でも、鈴木さんが『おんなの宿』の僕の声が気になったらしくてね。『山川クンの声は魅力がある。低音が武器になる』と言って『オーディションには落ちたけど、もう一度会議を開こう』と掛け合ってくれたんです。それで東芝からのデビューと所属事務所も決まった。本当に紙一重。仙十郎さんがいなかったら今の山川豊はなかったでしょう」
その頃、東芝には村田をはじめ、ベテラン勢が揃っていたが、村田の口癖は「若手を育てないと東芝に将来はない」。会社を挙げて新人を売り出そうという機運に満ちていた。
山川さんはその第1号として期待は大きく、デビュー曲は作詞・たきのえいじ、作曲・駒田良昭の「函館本線」に決まった。