ノッチさん 80歳までにハワイでトライアスロン完走したい
リタイア、完走できずも練習の日々
すぐにもう一度ロングに挑んだら、また完走できず、「短い方にもう一度出よう」と、長野県の野尻湖カップトライアスロン・ジャパンオープンに出場。指宿より長く、ロングとショートの間のミドル。これを完走できた。その後も週2日水泳、4日は自転車とランニングと練習の日々。それでもロングは完走できないまま3年くらい経ってしまって。
15年には4年前に番組企画で挑戦した佐渡の大会に、プライベートで参加。自転車を持ってフェリーに乗って佐渡島まで行き、ついに14時間23分で、初めてロングを完走しました!
実行委員の方たちがゴールで、「ノッチさんがゴールに来ました!」と大騒ぎ。町長さんだと思いますけど、ゴールまで来てくれて、僕がゴールした瞬間に握手とハグで迎えてくれて、「ノッチ君、やったー! カメラどこ?」と。
「いや……今日は、僕……プライベートですから……」と言ったら、スーッと離れていきました(笑い)。こんな過酷な大会にまさかプライベートで参加するとは思いませんよね。でも、みなさん応援してくれてありがたかったです。
■完走した大会で足を引っ張った嫁
佐渡には家族も来てくれた。でも、うちの嫁さんはやらかしてくれました。最後のランで給水所が少ないから、前の晩にドリンクとかゼリーとかビタミン剤を預けて、20キロ地点で渡してくれるように打ち合わせしていたのに、いざその地点でゼリーを受け取ろうとしたら、「ごめん! 暑いから、食べた」と。
「誰が!」と聞くと「私が」と。「アミノ酸は?」「暑かったんで全部飲んだ」「バナナは?」「子供たちが食べた」「何もないのか!」「これならある」……。
渡されたのが、フリスク。あの糖分だけで、ラスト20キロを走りましたよ。嫁さんは他のレースでも補給するものを子供と飲んだり食べたりしちゃって。自分たちの分を買っておけばいいんじゃない? って話ですよ(笑い)。
佐渡の大会を完走してから仕事が増えました。トライアスロン大会にゲストで出てくださいとかスターター役をやってくださいとか。レースも17年は宮古島ストロングマントライアスロンを完走し、翌年は岡山県湯原温泉のミドルクラストライアスロンも完走。
死ぬまでに出たい大会は先ほど話したハワイのアイアンマン・ワールド・チャンピオンシップ。これは資格がいるんです。アイアンマンという商標の大会に出てライセンスを取得し、申請して、世界中からの抽選に当たらなきゃいけない。出られるのは1年に1回、1500人程度。大会のドキュメント映像を見ると抽選に当たった人は人生最大の喜びって感じ。レースのスタート前にすでに号泣してる。55歳の今年から準備を始めて、80歳までにはチャレンジして完走するのが夢ですね。
自粛中も練習は自転車ローラーを付けてエアロバイクみたいにして部屋の中で再開してます。嫁さんは「うるせえ」と言ってますけど(笑い)。
(聞き手=松野大介)
▽本名=佐藤望 1965年7月、愛媛県生まれ。88年に安田和博とお笑いコンビ・デンジャラスを結成。オバマ大統領の顔マネや恐妻家としてバラエティーで人気に。