戦争で“生き抜いた”というより“生きられた”日本人の記録
大学教授でもある小熊氏の、実父が早稲田実業(中学校)を出て会社に勤め始めた昭和19年、19歳で徴兵され、満州の関東軍の下に配属される。本籍地がたまたま新潟だったため、連隊の師団が駐屯する満州になったのだ。そして翌年、敗戦。武装解除され、さあ引き揚げだと思ってたらそのままソ連軍捕虜となり、シベリア行きの列車に乗せられ、極寒地で3年間も抑留される。何とか帰国してからの流転人生もまた凄い。戦争から平和、高度成長とは何だったのか。戦争が人をどう変えたかが克明につづられる。“生き抜いた”というより“生きられた”日本人がそこにいた。歴史小説など足元にも及ばない、迫真の聞き取り調書だ。役者なら、おおいに勉強してくれと思った。
自粛の盆休み。戦争の本を読み返すと時を忘れた。樺太(サハリン)の居留民や皇軍兵士にも地獄が待っていた。終戦日など無視して侵攻してきたソ連軍に、降伏するどころか領土を死守せよと軍本部から命じられて戦い、家族で集団自決したり、捕まって強姦されたり。このクソ暑い1週間は、終戦のことを考えさせられるばかりだった。
玉音放送の前日でも、大阪に大空襲があった。1トン爆弾(どんな威力か想像もつかないが)、700発も投下され、昼の1時ごろ、支線が交差するホームに千数百人の乗客であふれる国鉄京橋駅も地獄と化した。小学生の頃、近くに勤めていた親父にガード下の寿司屋に連れていってもらったが、それは知る由もなかった。