シモキタ・ロフトで「ライブハウスの宿命」が身に染みた
9月13日に「下北沢ロフト生誕45周年記念ライブ」が行われた。1975年12月。小田急線と井の頭線が交わる下北沢駅・南口商店街を抜けたところにシモキタ・ロフトはオープンした。忘れられない青春の日々。新たに勃興した音楽の波に背中を押されて「ロックの第一列にいたい!」という気概に満ちあふれていた――。
どこかローカル色の漂っていた下北沢駅の周辺は、演劇の街といってもよかった。そんな下北沢に生息していた若者にシモキタ・ロフトは熱烈歓迎され、多くのミュージシャンたちの名演奏と伝説を持ち込んだ。今では下北沢に30軒ほどのライブハウスがあるといわれている。ロフトはそのパイオニアとなった。
烏山、西荻窪、荻窪、そして4店舗目となったシモキタ・ロフトは、店を構えて1カ月目にはブラック・ニッカのボトルキープが500本を超え、深夜になると店の前にタクシーの行列ができた。つい「これまでの苦労は何だったのか?」と言いたくなるほど何の苦労もせずに黒字になった。
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ライブのブッキングも順調だった。関西系の上田正樹、憂歌団、山岸潤史、ウエスト・ロード・ブルース・バンドといったミュージシャンが、シモキタ・ロフトを拠点にしてくれた。しかし<ライブハウスの宿命>が身に染みたのも、ここシモキタ・ロフトだった。