「雲黒斎」のせいで納骨拒否 死んでも生き続けた談志師匠
奇跡的に立川談志の弟子になった俺は談洲、談六の2人の兄さんと修業(?)の日々を送っていたのだが、今回は時間をそこから30年近くグイ~ンと飛び越えて、師匠との別れの日のことを述べようと思う……。
というのも今年も11月21日の師匠の命日がやってきたのだ。いくら不肖の弟子の俺であっても人生の恩人を偲ぶ心は持ち合わせているのだ……。
2011年11月21日に死去した師匠は最後の最後まで迷惑千万なワガママな人で、実は亡くなってから約1年もの間、生き続けたのである。
いや、いくら師匠でもゾンビじゃないんだから生き続けたというか……正確には生前、師匠が決めていたある厄介なことから納骨を受け入れてくれるお寺が見つかるまでに約1年がかかり、文京区のある寺にやっと安らかな眠りについたのは2012年の12月2日であったのだ。
その納骨拒否というのが、「ホンマにアホかいな~!」と関西弁が聞こえてきそうな(でも、そーいう師匠が大好きだしくだらなくても大切なことだと俺は思う)戒名を生前自ら決めていて、それが「立川雲黒斎家元勝手居士」だったもんだから、そりゃそーでしょう!