弟子入りを請う俺に立川談志師匠が放った奇跡の言葉
奇跡は信じられないことが起こるから「奇跡」と呼ぶ。1982年9月13日の池袋の夜に俺に舞い降りた出来事こそは、その後40年近くも芸能界でメシを食っていることを考えたら、まさしく「奇跡」以外のなにものでもないと、あの瞬間あの言葉を振り返り、思うのだ。
金原亭馬生師匠の訃報の日、おまけに立川談志師匠への俺の弟子入りの世話役であった漫画家の高信太郎さんは、こともあろうに師匠に会うなり「初めまして……」と緊張しながら、耳を疑うような挨拶はするわ……(え~っ、旧知の仲のような口ぶりだったじゃないの~!?)。
池袋演芸場での一門会の高座を終え、打ち上げをしていた飲み屋。その宴のお開き寸前に談志に呼ばれ、カラカラに渇き切った喉とあまりの緊張感から、その場の映像と音声がズレているような感覚を覚えながら、弟子入りの旨を伝え、談志の言葉を待った……。
それは長い長い時間、永遠に終わらないもののようにさえ感じられた。
師匠が口を開いた。俺の顔を上目づかいに睨んだと思ったら、次の瞬間まったく興味などないようなしぐさで(「さあ帰るとするかあ……」というくらいの無関心さ)「ま、居りゃあいいよ、あと下の弟子どもに聞いとけ……」。これ以上素っ気ない言葉はないと思えるほど短い言葉だった。