5代目春風亭柳朝に入門 二つ目になるまで70超の噺を覚えた
春風亭一朝は1950年12月10日、足立区千住の大川町で生まれ育った。本名、浮ケ谷克美。高校3年の年に落語家を志し、8代目林家正蔵(後の彦六)の門を叩く。
「当時の師匠んとこには前座が2人いて、3人面倒を見るのは無理だと。それで、『あたしの総領弟子に柳朝というのがおります。そこでよかったら』と言われて、柳朝の家を訪ねたわけです」
5代目春風亭柳朝、立川談志、古今亭志ん朝、三遊亭円楽(先代)が「落語界の四天王」といわれた。
「彦六師匠から、『そろそろ弟子を取らなくちゃいけない』と言われて、渋々取ったみたいでした。ところが、子供がいない夫婦なので、おかみさんが大変喜んで、あたしを可愛がってくれました。家に行くたびご飯を食べさせてくれる。それも、『お寿司にするかい。それとも天丼がいいかい?』って店屋物を取ってくれる。柳朝が、『こいつは客じゃねえんだぞ』って(笑い)」
克美青年は1968年3月、高校を卒業後、正式に入門した。前座見習として、朝太郎という芸名を付けてもらう。師匠の指導法は他の一門とは違った。