田原俊彦デビュー42年 還暦になっても踊り続けるプライド
「紅白」出場回数はSMAPや嵐の比ではないがソロとして7回出場する快挙。すべて順調だった歌手生活に狂いが生じ出したのは独立だった。
1991年、12年間在籍したジャニーズを退所。個人事務所を設立した。会見で飛び出した「俺はビッグ」発言でバッシングされ、仕事は激減したが、それ以上に影響したのがジャニーズタレントとの出演拒否だった。
一昨年、公正取引委員会がテレビ局のジャニーズへの忖度を注意することがあったが、そのはしりが田原だったかもしれない。田原がテレビから消えた。独立の難しさを田原自身も身に染みて感じたと思う。
田原はかつてブログが出だしたころ、「ジャニーさん、僕も“スマスマ”に出してよ」とジョークを交えて訴えていた。実現すれば新旧アイドルの共演で話題になったはずだが、かなうことはなかった。
落日の田原に目を付け、オファーしたのが関西のローカル番組だった。
「現役アイドルが出演したら話題にもなるし、視聴率にもつながる」と在阪番組スタッフから田原の口説き方を聞かれたこともある。ギャラも含めかなりいい条件と聞いたが、田原はかたくなに出なかった。スーパーアイドルとしてのプライドだったのだろう。