アカデミー賞「ノマドランド」席巻のウラにトランプと中国
今年のアカデミー賞は中国人監督クロエ・ジャオ(39)の「ノマドランド」が作品賞を獲得した。クロエ・ジャオはキャスリン・ビグローに続いて女性として2人目となる監督賞を受賞。主演のフランシス・マクドーマンド(63)も「ファーゴ」「スリー・ビルボード」に続く3度目の主演女優賞獲得という快挙を達成した。黒人差別反対のBLM運動とコロナ禍での配信で注目されたNetflix映画「マ・レイニーのブラックボトム」で黒人女性歌手を熱演したビオラ・デービス(55)は及ばず、「ノマドランド」がアカデミー賞を席巻した形だ。
「ノマドランド」は、2008年のリーマン・ショックで家を失った高齢労働者が遊牧民(ノマド)のように、キャンピングカーで寝泊まりしながら生きていくさまを描いたロードムービー。車に全財産を積んで全米を渡り歩き、アマゾンの配送工場や農場の季節労働で日銭を稼ぎながらノマドたちは生きていく。日本でも経済格差の象徴として「道の駅」の駐車場で車上生活を送る生活困窮者の存在が報じられた。アメリカの「ハウスレス」はスケールが大きいが、物悲しさは共通する。
17年に公刊されたジェシカ・ブルーダー著のノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」(鈴木素子訳、春秋社)にマクドーマンドが惚れ込んで映画化権を取得、新進気鋭の若手監督ジャオを抜擢して、コロナ禍前の18年から撮影が開始された。殺伐とするコロナ禍の社会を予言しているかのような近未来感も漂う秀作だ。
マクドーマンドら主演役者以外は、監督がスカウトした本物のノマドが出演。演技の素人だが、車上生活を送る白人貧窮者(プア・ホワイト)の心の襞を見事に演じきっている。アメリカ中西部の美しい風景をバックにノマド生活が点描される、ドキュメンタリーと見間違うほどの迫真の物語が「ノマドランド」だ。
アメリカ分断の克服
ノマドたちの共通点は家(ハウス)や家族を失っていることだが、だからといって帰るべき家(ホーム)がないわけではない――。
アカデミー賞は時々の政治と社会情勢に敏感に反応し、高い社会批評性を有する作品に贈られることが多い。トランプ前大統領時代に社会の分断が進み文化の多様性が排撃され、メリル・ストリープを代表とするハリウッドの俳優・製作陣の反感は頂点に達していた。
バイデン大統領による民主党政権が戻ってきて最初のアカデミー賞が「ノマドランド」に贈られたのは、トランプ支持層のラストベルト(さびついた工業地帯)ではなく、アメリカ中西部の豊かな大地を舞台として、分断に傷ついた人々が「ホーム」を希求する物語を真摯に描き切ったからだろう。
ジャオ監督は中国で総スカン 公開は絶望的
それともうひとつ。ジャオ監督は2月にゴールデングローブ賞を受賞した後、中国で総スカンを食らっている。原因は13年に米メディア「フィルムメーカー」とのインタビューで「中国は至るところに嘘があって、逃げ出せないと感じていた」と発言した過去があぶり出されたこと。中国のSNS微博ではジャオ批判が殺到、「ノマドランド」の中国公開は絶望的な状況だ。
ワンダグループ(大連万達集団)を筆頭とする中国資本は今では米映画産業の大スポンサーとなっており、ハリウッドで中国忖度の度合いは増す一方だ。しかし、バイデン政権は3月に公表した暫定版国家戦略で中国習近平政権を「唯一の覇権挑戦国」に認定し、ウイグルのジェノサイド疑惑など中国の人権問題への攻勢を強めている。
対抗馬だった韓国系監督の「ミナリ」が落選し、「ノマドランド」がアカデミー賞を席巻した背景には、激化する米中新冷戦の中で、窮地に立たされているジャオ監督を後押しするハリウッド特有の政治感覚があったと言えるだろう。
▽北島純(きたじま じゅん) 社会情報大学院特任教授。東京大学法学部卒業、九州大学大学院法務学府修了。国会議員政策秘書、駐日デンマーク王国大使館上席戦略担当官を経て、現在BERC(経営倫理実践研究センター)主任研究員、東洋学園大学大学院非常勤講師。専門は戦略的パートナーシップ、情報戦略、腐敗防止。