RADWINPS野田洋次郎に“泥酔飲み会”報道 ファンも失望させた表現者としての「ダサさ」
■ロックな生き方?
もちろん野田が主張するように「音楽」や「エンターテイメント」が衰退していく流れは止めなければならない。イベント開催の水準も曖昧かつ流動的で、それによりエンタメに携わる者が疲弊し、振り回されているのもまた事実である。
しかし、野田自身の〈いい加減『違う』ことは『違う』と声をあげていい時だと思います〉という言葉の通り、ルールを守らず主張だけをすることはやはり「違う」し、一人の表現者、アーティストとしても「ダサい」。
それこそ自粛を守りつつ、イベント再開を心待ちにするアーティストからしたらRAD野田の飲み会報道は〈ふざけんな〉という気持ちになっているだろう。
彼の行いを<ある意味、ロックな生き方>というネットの声も一部あるが、前述した野田のツイートは一人のエンタメや音楽に携わる"社会人"という立場からの政府批判であり、実際に野田の政府批判に乗っかる形のリプライも多くある。
アーティストとして今まで許され、認められてきた「ロックな生き方や行動」も人命に影響を及ぼすコロナ禍では通用しにくい。批判をされない行いを前提にして初めて"対等に"批判したり、主張できる土俵に乗ることができると考えるのが、社会人として一般的な感覚だろう。