故・藤島メリー泰子名誉会長 ジャニーズに捧げた「女帝」の激しき生涯…タレント愛ゆえの“剛腕”も数々
1987年、人気絶頂の中森明菜が交際相手だった近藤真彦の自宅マンション内で自殺未遂という事件も、その年の大みそかに開いた「金屏風会見」まで仕切り、騒動の沈静化に動いたのもメリー氏だった。
「明菜さんとマッチの熱愛情報があり、それを報じたところ事務所に呼び出され4時間以上にわたって怒鳴られたものです。所属タレントを守る気概がとても強く、物凄く怖かった」(ベテラン芸能記者の青山佳氏)
■SMAP解散の引鉄にも
2016年のSMAP独立解散騒動も、チーフマネジャーを公然と批判し「出て行きなさい」とメリー氏が言い放ったのがきっかけだった。
「報じたスキャンダルが事実であれば文句は言わないのは潔いのですが、他の媒体には後追いはさせないようにし、“風”の段階で収めて絶対に“火事”にはしない。テレビ局にとってはタレントが人質だし、出版各社にはファッション誌やカレンダーの利権もある。そうやってアメとムチで牛耳った。結局、ほとんどのマスコミはメリーさんに負けたんです」(二田氏=前出)
葬儀告別式は故人の遺志により近親者のみで執り行われたという。93歳。激しき“女帝”の生涯だった。