<102>デジタルの時代だけど「気持ちにフィルムがなくちゃ」っていうことですよ
この『古希ノ写真』は、オレが古希のときに出した写真集なんだよ。2010年だから12年前だねぇ。『古希ノ写真』っていうんで、昔の「写真に帰れ」っていうんじゃないけど、写真の素材から始めようって気持ちでやったわけ(「写真に帰れ」は、写真評論家・伊奈信男が1932年に出版された雑誌『光画』の創刊号に書いた論文の題名)。
だって、この頃、現代アート流行りだからね、そうじゃなくって、即写真っていうことなのよ。ちょっとデジタルの気分もあるんだけど、やっぱり違うんだ。気持ちにフィルムがなくちゃ、その感じ方がなくっちゃねぇ、っていうことですよ。
決してうまい写真じゃないけど、ストーンって撮っていくっていうことかな。古希だから、ここから始まるっていう気持ちもあったのよ。なんでもない写真がいいんだよ。なんか説明するのが難しいんだけど、気持ちにフィルムがなくちゃということなんだね。
6×7のフィルムを使うカメラがおもしろかった
ちょうどこの頃、意地を張ったFUJIが偉いんだけど、デジタルの時代になるっていうのに一番撮りにくい6×7のフィルムを使うカメラを出したんだよね。そこがおもしろいの。それで、そのカメラ(FUJIFILM GF670)で、わざと素直にぼんぼん撮ろうって思ったわけ。
この年の3月2日に(愛猫の)チロちゃんが逝ったんだよ。22年生きてね。翌日の雛祭りにチロの棺を桃の花で飾って見送ったんだ(「チロ」連載21~25に掲載)。
ドアが少しだけ開いてる写真があるでしょ。チロちゃんが生きてた時は、朝8時ぐらいになるとここからオレを起こしてくれてたんだよ。ここから覗いて「ニャー」って。だから、ずっとドアを少しだけ開けてたね。チロちゃんが死んで何ヶ月経っても、閉めて寝られなかったねぇ。
『古希ノ写真』は、古希で「写真」を終えたっていうことと、古希から写真が始まるっていうようなことなんだ。なんでもないように見える写真ばっかりだけど、実は難しいんだよ。写真というコトの原点が全部ここにあるんだね。
(構成=内田真由美)