追悼・PANTAさん(頭脳警察)時代に抗い続けた反骨のロック魂
ロックミュージシャンのPANTA(本名・中村治雄)さんが7月7日、10時44分、肺がんによる呼吸不全と心不全のため、清瀬市の病院で死去した。享年73。
PANTAさんといえば、常に「過激」というイメージがつきまとう。ギター&ボーカルのPANTAさんがTOSHI(石塚俊明)と共に「頭脳警察」を結成したのは1969年。東大闘争、日大闘争を軸にした全共闘運動が全国の大学で燃えさかり、70年安保を前にした「政治の季節」だった。
PANTAさんは赤軍派の「世界革命戦争宣言」をステージでアジテーションするなど、ベトナム反戦運動高揚期の学生たちを熱狂させた。世界革命戦争宣言の一節は「ブルジョワジー諸君! 君たちにベトナムの民を好き勝手に殺す権利があるなら、我々にも君たちを殺す権利がある」という過激なものだった。71年に三里塚芝山連合空港反対同盟・青年行動隊が主催した「幻野祭」では「銃をとれ」を熱唱し、72年発表のファーストアルバム「頭脳警察1」は政治的かつ過激な歌詞によって発売中止になり、「頭脳警察セカンド」も発売1カ月で発売禁止勧告を受けて回収された。その時、「事件は音楽の中の警察が取り締まるべきだ」と頭脳警察を擁護したのが寺山修司だった。
2008年に寺山の「時代はサーカスの象にのって」を劇作家・演出家の高取英の補作詞でPANTAさんが作曲しCDリリースしたのは寺山に対する返礼だった。歌詞の一節「戦争と戦争の間に私たちはいる それを忘れることはない」という部分がPANTAさんの心を揺さぶったという。母が従軍看護婦で、戦後、病院船・氷川丸で命からがら帰国したことと無関係ではない。
反体制ロックミュージシャンとして若者に熱狂的に支持されたが、PANTAさんの基調はイデオロギーではなく、生きとし生けるものに対する愛=ヒューマニズムだった。それが権力によって侵され、差別され、排除されることに対する怒りと反骨精神が歌の底流にある。PANTAさんは本来の意味の自由主義者=リベラリストであり、ロマンチストだった。日本赤軍の重信房子や娘の重信メイ、新右翼・一水会の鈴木邦男など交友関係は思想の左右を弁別することはなかった。
03年にはイラク戦争開戦前のバグダッドに鈴木邦男、木村三浩(現・一水会代表)、元赤軍派議長・塩見孝也、雨宮処凛らで訪問。この時の体験をもとに、後にサダム・フセインの孫で14歳のムスターファが父やボディーガードがアメリカ軍に殺された後も1時間にわたって銃撃戦を繰り広げ、射殺された史実を歌った「七月のムスターファ」を作っている。
フセインとブッシュどっちがいい悪いじゃない。泣き叫んで逃げても、助命を願っても許されたであろう14歳の少年が、たった1人で銃を持ち、圧倒的なアメリカ軍相手に血の海に横たわる父を盾に1時間も戦った。その少年の誇りを記憶してくれと叫ぶPANTAさん。やはり心優しいリベラリストなのだ。