潜伏50年の桐島聡と週刊誌記者の「点と線」…1970年代の編集部はすごかった!
当時、在籍していて、後にグリコ・森永事件の犯人「キツネ目の男」と疑われた宮崎学が「突破者」(南風社)の中でこう書いている。
「党派でいっても、日共、革マル、青解、中核、ブント、黒ヘル、アナーキストと各派そろっており、大東塾系の右翼もいた。社会的アウトサイダーの巣窟のようなものである」
私と仕事をした朝倉喬司記者(後に事件もののノンフィクションライター)は、反戦運動が高まっていた1966年に起きた、ベトナムへ機関銃を輸出する軍需工場襲撃事件に深く関わっていたといわれていた。
実際、三菱重工爆破事件の主犯、大道寺将司(死刑確定後に病死)や齋藤和(服毒自殺)、その内縁の妻であった浴田由紀子(懲役20年)とつながりのある記者もいた。
そんな週刊誌の黄金時代をつくったツワモノたちも次々にいなくなってしまった。桐島聡が現代の記者に紛れ込んでいたら……。そんな“妄想”が浮かんで消えた。 (文中敬称略)