追悼・中尾彬さん 無音で「ひ・さ・し・ぶ・り」と一音ずつ口の形を変えて挨拶をされた
先月16日にお亡くなりになった中尾彬さんとは、トーク番組などで20回以上お世話になりました。
初めてお会いしたのは20年以上前。口数こそ多くはありませんでしたが、ここというところで短くバッサリ斬る姿はまさに「役どころを心得ている」という感じでした。
「(奥さまの叔父にあたる古今亭)志ん朝師匠ともお話しになることはあるんですか?」と伺うと、当時は「あんまりないんだよな。話したいんだけどね」と語り、志ん朝師匠が亡くなられた後の出演の時には、中尾さんの方から寂しそうなお顔で「(志ん朝さんと)もっと話したかったね……」とポツリとひとこと言って、私の肩を強く掴まれたことが今でも印象に残っています。
中尾さんは料理も上手で、流木の板をお皿代わりにして、「僕が生まれ育った木更津の漁師の酒のさかな」をご自分の包丁を持参して作ってくださいました。
(トミーズ)雅くんが「趣味がめっちゃ多いですけど、何してはる時が一番楽しいですか?」と伺うと「“居酒屋しの”でメシを食ってる時かな……」「自分の店ですか?」「家で晩飯を食べる時は、僕が和紙に“お品書き”を書いて、そのとおりの料理をかみさんが作ってくれて2~3時間かけて食べるんだよ。それをうちでは“居酒屋しの”って呼んでるんだ」「ものすごいノロケ!」「ホントだからしょうがないじゃないか……」とちょっと照れくさそうに、本当に幸せそうな顔で話しておられました。一見、「こわもて」の印象ですが、気さくでスタッフにもよく声をかけ、大事にしてくださるすてきな方でした。