追悼・桂ざこばさん 「同じ演目」でも「同じ噺」はない“ざこば落語”の真骨頂
本芸の高座でも登場人物に感情が入りすぎて、感極まって涙でむせて言葉が出てこないこともありましたが、これこそが「ざこば落語」の真骨頂!
埋もれて誰もやらなくなっていた噺を再構成して現代に通じる噺につくりあげられ、どんな高座でも変わらぬ高いクオリティーで安定した噺を演じられ、その噺が「教科書」と言われた米朝師匠とは真逆で、同じ演目でもその時の高座によって感情表現が変わっておられたので一度として「同じ演目」でも「同じ噺」はありませんでした。だからこそ多くの方が「今日のざこば」「生のざこば」を見に独演会へ足を運ばれたのだと思います。
朝丸時代は「ウィークエンダー」のリポーターとして活躍し、知名度は全国区でしたが、その間も高座は欠かさず、軸足は常に「落語」に置いておられたざこばさんでした。次回はざこばさんの師匠愛についてお話しさせていただきます。