中居正広は松本人志の合コンに、2003年の時点で行っていた? 気になる千原ジュニアの証言
ドッペルゲンガーでも出たかと思ってしまうその話のオチは、千原としてフライデーに掲載されていた人物の正体は中居だったというもの。千原いわく、記事が出た際には中居から「本当にごめん」「自分じゃないとどこで言っても良い。こちらの名前も出して良い」と謝罪する電話がかかってきたという。また、同放送回には中居もパネリストの1人として出演しており、この話に大笑いしながらうなずいていたのだ。
千原の話によると、「人違い事件」が起きたのは本人がバイク事故を起こして入院し、退院した後しばらくしてからのことだという。千原といえば2001年にバイク事故で入退院を経験しているため、披露したエピソードはこれ以降の話ということになる。
■フライデーに乗っていた写真で、千原とされる人物は帽子にサングラス姿だった
なお、フライデーの2003年4月4日号には、「松本人志 美女“合コン”ナンパ→お持ち帰り一部始終」とのタイトルの記事がトップ記事として掲載されている。内容は同年3月半ばの深夜1時過ぎに東京・代官山の料理店から、松本が千原、元「雨上がり決死隊」の宮迫博之(当時32)、「水玉れっぷう隊」のアキ(当時33)の4人で、女性たち5人と出てきた際の様子を写真付きで報道する記事が掲載されている。